ラスト1年!受験に向けてラストスパート!

定期的にいい結果を出せた模試が推薦入試につながりました

私にはどうしても入りたい学校があったので、定期テストや模試で推薦入試を受けることを目指しました。私は一生懸命バスケットボールの部活に取り組んできました。その為、バスケットボールの強い学校を目指していました。しかし、受験ぎりぎりまで部活があったので、満足に勉強に打ち込むことが出来ないでいました。なので、推薦入試を目指そうと思い、定期テストや授業態度、たまにある模試の結果で良い結果をとり、内申点など先生と話し合いながら、推薦入試に臨みました。推薦だけといっても、勉強を全くしないわけにはいかないので大変でしたが、好きなバスケットを良い環境でプレーする為に頑張りました。

入試に面接入試は必要だろうか。

入試に面接入試が組み込まれている大学もあるが、それは必要だろうか。別に面接入試の否定をしているわけではない、面接形式もきちんとした面接官によってさまざまな角度から受験生の本質に迫れる。しかし、今の受験体制がそこまでの本質を求めているだろうか。たとえ、面接の結果が悪くとも偏差値が優秀であるならば学校は手放さないだろう。受験に力を入れている学校ならなおさらだ。では面接をする意味とは何だ。ただの儀式の一つなのだろうか。そんな立ち位置だからこそ、面接をする面接官も受験生の本質に迫る必要がなくなり、面接自体も形骸化し、巷に出回っている面接対策が威力を発揮するようなそんな無味乾燥な面接がまかり通っている。

模試を予備校でたくさん受けました

僕は人の倍以上の模試を予備校で受けました。知らない模試はないというほどいろいろな模試を受けました。模試はお金のかかるものもありましたが、学校以外で受けるという本番さながらの雰囲気や偏差値がでるなど、本番の気分を少しでも具体的に把握できると思ったからです。別に、模試マニアだったわけではなく、僕はすぐ緊張してしまうことが弱点だと自分で思っていたからです。模試をたくさん受けてリハーサルがたくさんできればそこが克服できると考えました。また、ほかにも模試には詳しいフィードバックがくるなどメリットがたくさんありました。

大学入試は入試ではないのか。

大学入試は入試ではないのではないか。異常なまでの大学入試への受験戦争にそう感じたことがある。本来の入試の目的である通過点としての役割を超え、そこが人生の最終決着の場所であるとの思いが、受験の場には渦巻いている。これでは大学入試が入試の一種だとはとても思えない。通過点と決着点ではあまりに意味がかけ離れている。なぜこうなったのか、考えたが結論は出ない。しかしその結果、大学入試のための受験勉強、受験のためだけの知識というカテゴリーができてしまい。社会では必要のない知識の習得が義務づけられたかのような現状は無駄の塊であることは間違いない。知識とは、目的を見据えそれに必要なものを習得し、そしてそれをきちんと役立てるためのものである。

模試が受験対策の1つの重要な鍵でした

私の場合、模試が受験対策の1つの重要な鍵でした。希望の学校は決まっていたものの、なんとなく勉強に身が入らない日が続きました。問題集をやったり、定期テストでわかった苦手な科目を勉強したりとなんとなくの勉強が続いていました。あるとき、模試を受ける機会がありました。はじめて受けた模試は点数計算も本番のようなかたちで受けているときから集中力が自然と出てきていました。そして、結果が返ってくると苦手な科目だけでなく、その科目のどの部分が苦手なのか、より詳細に把握することが出来ました。それから定期的に模試を受け、自分の気持ちを引き締めながら、本番にのぞむようにしました。

入試の小論文の対策。

入試の小論文の対策は今や山のようにある。しかしそれは正しいのだろうか。小論文とは、マークシートや一つの解答の定まった問題などと違い、自由形式の解答が許された問題である。それに対策などあってないようなものであり、裸一貫でその課題と向き合い、小論文を考え出すのが主旨であるはずなのだが。いまや、小論文も対策の充実から、自由と多様さが失われているように感じる。というのも、評価する大学自体が、小論文の自由さと多様さを評価しきれないため、結局論文の内容の質よりも、文章の体裁・文法などのチェックで採点するようになっているからである。肝心の小論文は無難な内容でさえあれば良いという感じある。そういった枠から外れた発想こそ、小論文をやる意味が込められているのではないだろうか。

模試でセンター試験の対策をしっかりしました

私は模試でセンター試験の対策をしっかりしました。高校受験の時、基礎的な学力を上げる為に定期テストや模試で対策を練りました。特に模試では細かなフィードバックをもらうことが出来る為、自分のことを客観的に分析することもできました。そして、大学受験のとき、センター試験があることを知りました。センター試験は基礎的な学力だと先生に言われたので、高校受験のことを思い出しました。高校受験の時に行っていた基礎的な学力の勉強法を大学受験の時も同じようにこなしました。模試のフィードバックがより詳しくなっていたのと、慣れていたことで順調に成績を伸ばすことが出来ました。

入試に有名進学校はどう頼れるか。

入試に有名進学校はどう頼れるか。有名進学校は、有名大学への進学率が高いからこそ有名でいられているのであり、それが存在意義となっている。そのため有名大学への進学率を高めるために、ありとあらゆる努力を行っているだろう。有名大学を目指すのであれば、そんな進学校の方針に身を委ね、同じ目標に向かって互いに利用しあう関係も悪くはない。ここで勘違いしてはいけないのが、進学校が受験生を強力にサポートするのは受験生本人のためなどではなく、自校の業績、評価のためであると言うこと。この点を勘違いして、必要以上に進学校に信頼を寄せてしまうと、後でショックを受けることになるだろう。受験生と進学校の関係は、もっとドライなものである。

定期的な結果を出した模試でAO入試を受けることが出来ました

私は模試でAO入試を受けることが出来ました。私は歌うことが好きで、通っていた中学でも合唱部に入っていました。私の通っていた中学は合唱がとても強く、全国大会に行くほどでした。合唱も好きな私は同じように合唱に力を入れている高校を第一志望にしていまいた。しかし、少し学力に自信がなく、AO入試を受けることを望んでいました。なので、模試や定期テスト、授業態度などをよくするよう努力し、内申点で勝負することにしました。その結果、先生方も認めてくださり、無事にAO入試を受け、合格することができました。今は合唱部で楽しく歌っています。

入試に男子校は有利か。

入試に男子校だから有利だということはあるだろうか。その学校の校風によるだろうが、中には受験勉強に血道を上げれば排斥の対象になるような風土の男子校もありそうだ。まあ、それを除外しても男子校だから異性に気を取られずに受験に集中できるというのは幻想だろう。なぜなら、男子が受験に集中できないのは異性だけが原因でないことを私たちはよく知っている。厳しい受験の中で受験勉強に対する拒否反応が生まれるかのように、様々な事柄に興味が移り気が散るのだ。そんな中で受験に集中するのはかなりの精神力がいるし、そんな精神力があれば、異性がいようがどうだろうがあまり関係なかったりする。まあ、気が散る要素が一つ増えるぐらいの変化しかないだろう。

入試で京大入試を選んだ理由。

入試で京大入試を選んだわけは何か。こう聞かれてどのように答えるだろうか。無論、答えられて当たり前ではあるが、実際には答えに詰まってしまう受験生が多いのではないだろうか。おそらく、模試などででた自分の偏差値と照らし合わせて指導教師から進められた、という理由は率直には答えにくいだろう。そのような理由で大学を選んだことを口にするのをためらうのは、それに後ろめたさを感じているからである。そのような迷いを持って入試に臨むくらいなら、今からでも受ける大学を考え直すべきである。たとえ玉砕してもその方がすっきりすることは間違いない。もちろん、本当に京大志望で、はっきりと答えを返せる受験生は安心してその道を突き進んでほしい。

模試で大学学科別の合格率を知ることが出来ました

受験をした時に、模試で大学学科別の合格率を知ることが出来んました。高校受験の時に、いろいろな模試を受けました。その時に学科別で合格ラインがでる模試を受けたことがありました。例えば、普通と商学系など、合格ラインが異なるらしいのです。高校生になって大学受験を控えた時、なにがなんでもこの校舎に通いたいと思える大学がありました。しかし、文学部など自分が知っている学部では学力が少し足りなく悩んでいました。そんな時に、中学の頃受けた模試を思い出したのです。すると、その大学の中でも自分に合いそうな学科を見つけることが出来ました。

入試は東大入試だけではない。

入試は東大入試だけではない。東大を狙っている受験生はそのことを忘れてはいないだろうか。まず自分の目的を考え直してみると良い。自分は東大で目的の分野を選んだのはなぜか、そしてそれは東大でなくてはならなかった理由は何か。それらを考えて、本当に東大というステータスが自分には必要かどうかもう一度考え直すべきだろう。今の社会情勢は、決して東大やそこを卒業したエリートと呼ばれる人種に優しくはない。ひょっとすると東大に行ったからこそ、当初の目的の阻害となることがあるかもしれない。そのことも考慮に入れて、過大な犠牲を払って東大に行くべきか一度だけでも考え直してみてはどうだろうか。無論それでも東大に行くとなったのなら、何の問題もない。小さな悩みなど振り払ってその道を突き進むべきである。

娘が模試で大学全入制といわれるこの時代に無事進学できそうです

娘が模試で大学全入制といわれるこの時代に無事進学することが出来ました。私が学生の頃は、かなり昔になるのですが、大学に入る人はそれだけでエリートでした。そんな話を何気なく娘にしたところ、現代は大学全入時代といわれるからには、落ちたらだめだと変にプレッシャーを与えてしまったようです。それから娘がもってきたのは模試の申込書でした。少しお金がかかるようで、おずおずともってきましたが、私はいろいろなことを経験することは良いことだと思い、すぐに承諾しました。模試のおかげでモチベーションを保つことなどが出来たらしく、娘は無事に高校、大学と進学していきました。

入試で医学部入試は特別。

入試で医学部入試は特別である。というよりも特別でなければならない。医学部に入ると言うことは将来医療の道に進むと言うこと。それは他のどの職業よりも、人の生死に直結した立場になると言うことである。これで他の入試と一緒にしたのでは不安で仕方がない。この資本主義の世の中で「医は仁術」とまでは言わないが、それでも医者という職業にはよほどの人格が備わった人物でないと難しい。常に人の生き死にに関わり、そこで冷静な判断を求められる。そんな修羅場に耐えうるにはそれは最低条件だ。それを測ることが医学部入試には求められるのだろうが、実際がその通りになっているのか、不勉強のため自分にはわからない。